戦後日本社会において、「中産階級(中流階級)」意識の拡大はきわめて顕著な現象であり、1960年代から1980年代にかけては「一億総中流」と形容されるような社会的心性が広く共有された。この意識の背景には、高度経済成長に伴う経済的繁栄、雇用の安定、都市化の進展、教育機会の拡充といった複合的要因が存在する。とりわけ都市部のホワイトカラー層やサラリーマン家庭を中心に、収入や生活様式において自らを「中流」とみなす価値観が浸透していった。
この中産階級意識の形成と拡大は、日本型福祉国家のあり方や社会政策の方向性にも深く関わっている。1961年の国民皆保険・皆年金体制の確立は、社会的包摂を支える制度的インフラとして機能し、すべての国民が一定の生活保障のもとで「普通の生活」を送ることを可能にした。また、終身雇用・年功序列型賃金制度という日本的雇用慣行も、将来的な生活安定への期待感を育み、中産階級的心性の再生産に寄与した。
加えて、教育の普及と大学進学率の上昇も中産階級意識の醸成を促した重要な要因である。学歴社会の進展は、努力と成果の連関に基づく「能力主義」的な社会観を支え、出自にかかわらず上昇移動の可能性があるという信念を広く共有させた。このような「開かれた中産階級」イメージは、戦前の階級社会とは異なる平等志向型の社会構想を形成した。
一方で、この中産階級意識の拡がりは、政治や社会運動、さらにはジェンダー関係にも深い影響を与えた。政治的には、階級的対立を基盤とする左派運動や労働運動が相対的に力を失い、安定と漸進的改革を求める中道・保守勢力が支持を集める構造が定着した。また、社会運動においても、急進的な変革よりも生活の質や地域社会の維持といった課題が優先されるようになった。
ジェンダーの観点から見ると、「中流家庭」の理想像として定着したのは、専業主婦を中心とする性別役割分業モデルであった。このモデルは、男性稼得者の安定した雇用と、女性の家庭内労働に支えられたものであり、戦後家族政策の暗黙の前提でもあった。中産階級の成立は、女性の社会進出の制約という側面も併せ持っていた。
消費文化においては、家電製品、住宅、自動車などの「三種の神器」や「新・三種の神器」の所有が「中流」であることの象徴とされ、マスメディアはこうした消費行動を繰り返し描出することで、中産階級的ライフスタイルを標準化・規範化していった。テレビ、雑誌、広告を通じた「中流文化」の形成は、生活意識と社会的アイデンティティの均質化をもたらし、日本社会全体に広く共有された生活の「理想像」を構築することになった。
しかし、この「中産階級的社会」は永続的なものではなかった。1970年代後半以降、オイルショックを契機とした経済の低成長化、1980年代末からのバブル経済とその崩壊、1990年代以降の非正規雇用の拡大といった経済・社会構造の変化は、「一億総中流」という自己認識に徐々に揺らぎをもたらした。2000年代に入ると、格差や貧困に対する関心が高まり、「勝ち組/負け組」といった言説が流通するようになった。
その結果、「中産階級」は経済的な実態としても、象徴的な表象としても再定義を迫られることになった。実際には、中産階級の再編や内部での分裂が進み、かつてのような統合的な国民的意識としての「中流」は次第に解体されていった。
それでもなお、戦後日本社会における中産階級意識は、政治的安定、社会的統合、文化的均質性を支える重要な装置として機能していたことは否定しがたい。中流意識の広がりは、単なる経済階層の問題にとどまらず、戦後日本の国家形成、民主主義の定着、国民的アイデンティティの構築において中心的な役割を果たしていたのである。
