生活の中の職業体験
生活の中の職業体験

職業がわれわれにもたらす中心的なものは、やはり経済的報酬であろう。生活の経済的基盤を築くことこそは、職業に就くことの第一の目的をなしている。われわれは職業活動を通じて経済的報酬を獲得するが、これによって日々生活を全うし、あわせて将来にむけて人生設計をうちたてることも可能になる。

しかし職業がわれわれにもたらすものは、一つ経済的報酬にのみ限られるわけではない。人びととの交流、成し遂げたことの充足感、そして自分自身の成長や作品そのものなど、職業がわれわれにもたらすものは多彩である。少々論述の先まわりをするなら、そのもたらすものが多彩かつ大量なほど職業として価値が高い、と私は思っている。ところが現実には、職業がもたらす多彩な意義を満喫することができないとか、ほんのわずかな量しか体得しえない場合は多いはずである。職業的地位の不平等とは、まずもってここに主題をおいた概念だと思う。換言すれば、職業がもっ意義を存分に享受しているか、それとも不十分な享受で終わっているかということである。

ともかくも、職業が人びとにもたらすもの、そしてその質量は、職業によって異なる。たとえば所得の大きさが、あるいは達成の充足感が、職業によって違う。職業のこのような格差現象こそは、職業的地位の不平等ということの基本をなすと思われる。

職業で失うもの

職業が人びとにもたらすものは、プラス面ばかりではない。人びとにたいして、マイナスに作用する場合も考慮に入れておかなければならない。たとえば職業病などは、マイナス効果の典型であろう。坑夫や石切夫になったがゆえに珪肺にかかり、養護学校寮母の実に75%が腰痛の経験者であるといったようなことがそれである。

職業では得るものが多いけれど、このように、失うものもある。健康以外にも、自信とか自尊心を失うことになるかもしれないし、人生の進路や生存そのものをさえ失うことだってある。芸術家が創作活動にゆきづまってノイローゼになったり、自殺するような場合でさえ、職業的要因の存在を主張することはできるかもしれないが、このさいは一応おくとしよう。しかし、贈賄や収賄に絡んで職を失ったり生命を断つに至る公務員や会社員の場合は、職業的地位のゆえに被る不利益である。職業によって失うものとして、これは事があまりにも大きすぎるようだ。しかし職業がもたらすものとしては、こういったマイナス面を視野の中に入れておく必要があるだろう。

それにしても、職業によって失うものとしては、一般にどんなものが想起されるであろうか。何人かの大学生が、こもごも、つぎのように書いている。

《働くということは、自分自身が持っている労力と時間を提供することであり、その分個人の自由は失われる。また職場の中で自分の意見が100%通らないかぎり、そして命令されて働く以上は、個性の消失がある。結局人びとは、ごく稀な例外をのぞいて、個人の自由や個性を提供して報酬を受けるという図式のもとで生きている。》
《職業行動を通じて人びとは、人間として生きる厳しさを体験するなかで、人間を愛する気持を失うかもしれない。》
《利害関係が複雑に絡むなかで、ともかくも周囲の流れや世の動きに自分を合わせていかなければならず、非道徳的ならびに非人道的な行為にも慣れ、自分自身を見失っていく可能性がある。》

職業によって失うものとしてここでクローズアップされているのは、一言でいって人間性のことであり、人びとの個性や主体性のことである。いわゆる職業生活における人間疎外への懸念が表明されているわけである。これには労働疎外や組織疎外のほか、関係疎外や空間疎外なども含まれることになるが、学生たちは職業に就くいぜんから、職業における疎外について神経をたかぶらせているようだ。そして彼らは、これらの事態ができるだけ回避されうるような職業に就くことを強く希望するわけである。

事実世の中には、得るものの割に失うものが多い職業がある。この収支バランスを考えながら職業選択をするわけであるが、いったい、どんな職業がこの収支バランスがより益と出、いったいどんな職業がより損と出るのであろうか。

職業で得られるもの

次いで、職業によって得られるものに眼を転ずると、実にさまざまなものが想起される。むろんそこには、人生や生活にとって本質的なものと派生的なもの、長期的なものと短期的なもの、そして現実的で実際的なものと抽象的なものという区別があるかと思われる。まずは、職業で得られるものに関して集録した、いくつかの所見に目を通してもらうことにしよう。

《職業を通して得ることができる最大のものは、人生におけるハリであろう。職業は生活のベースになるものであり、職場において生き生きと働くことによって、人生にハリをもたせることができると思う(会社課長・40代)。》
《職業が人に与えるものは、責任の自覚である。ある程度職業についての認識が深まり、状況判断ができるようになると、仕事や組織にたいする責任の意識がそなわり、社会人としての自覚が身につく(営業所長代理・30代)。》
《誠意をもって尽くし、可能なかぎり顧客の要望に応えていくことが信用と地位を築かせてくれる。社会的な信用と地位といったものは、職業によってのみ得られる、われわれにとっての貴重な財産である(事業主・50代)。》
《職業は、われわれにとってはチャンスであると思っている。そこには、宝物が沢山ひめられているように思う。よい人たちと出会い、そういう人と結びついていくチャンス。社会的地位をえ、報酬を獲得していくチャンス。社会全体のことを知っていけるチャンス…… (大学生)。》

ここに示されているのは、どちらかといえば、職業にたいして好意的な人たちの発言である。職業が有意義な人間営為としてとらえられ、職業への期待は大きなものになっている。そのせいであろうか、職業がもつ効用について、実用的というよりは精神的なものが指摘されているようである。しかし、なるほど抽象的ではあるが、職業の意義として基本的にして本質的な面が抽出されているかと思う。

職業の精神的報酬

職業を通じて信用、地位、名誉が獲得できるとか、能力開発や対人的交流のチャンスが付与されるとか、そして生活のハリや生きがいが得られるといったことが現にあるなら、職業に関する満足度はきわめて高いであろう。ひとつ職業生活という領域にとどまらず、人生と生活の万般が充足しているはずである。われわれは常々、職業がもつこのような意義を十分に享受することを願っている。それでも職業の意義をすべて体得し、満足度を完全なものにすることは不可能であろう。問題は、職業がもつ本質的な意義を十分に享受しうる条件が、現実の中にどれほど備わっているかということである。

職業によっては、かかる条件に恵まれず、そのチャンスがきわめて乏しい場合があるだろう。職業にみられる格差現象は、こういった面から接近する必要があると思われる。

職業の意義をどれほど享受しうるかについて、主観的要因が働いてくることは事実である。従事している職業そのものが好きでないとか、それに誇りをもてないということであれば、職業は、そこから何かを得る対象ではない。いまの職業が適性でないと思っている人の場合もそうであるし、ましてや、職業を単なる生活上の手段としてしか認知していない人にたいして、職業はそれだけのことしか付与してくれないはずである。

職業活動にとって、経済的報酬の大小は重要な問題である。しかし、それ以外の要因にも着目しておく必要がある。概念的には従来からも、経済的報酬以外に、社会とのつながりを体験させて社会人であることを自覚させる、個性の発揮を通じて自己を実現させる、という二点が強調されてきている。

職業に関する満足の度合

個性実現にかかわる職業の意義というのは、自分が他者とは異なる独自の存在であり、かけがえのない人間であることを体得させてくれるチャンスとして職業があるという意味である。結局のところわれわれは、自分の持味や特性をベースにしてこそ十分に力量を発揮できるし、そうすることが、生きる勇気と喜びをもたせてくれる。職業は、それにかかわる得難いチャンスなのである。

また社会人にかかわる職業の意義というのは、職業を通じて多くの人びとと交流し、協働の成果として何かを成し遂げ、他者に対して何らかの貢献をするチャンスとして職業があるという意味である。

職業活動は、自分が一人前の社会人であることを実感させる、まことに得難いチャンスなのである。

全くのところ職業活動には、このように重要な意義がこめられている。そのゆえにこそ、かりに生活をしていくうえで十分なだけの経済的資料を保有していたらどうするかと問われても、職業活動から身を引くつもりはないと回答する人がほとんどすべてを占めることになるのである。

ところが現実に眼をやると、職業に満足している人の割合は、各種の調査から総合的に判断するとき、ほぼ6割というところである。ついでながら、この六割という数値は、諸外国と比べると低い。

とくに青少年の場合にそうである。過去三回実施された世界青年意識調査によれば、米国、英国、西ドイツでは8割以上の人びとが職場生活に満足しており、フランスでも75%に近い。職業満足度合が国際水準と比べて低い点は従来からも指摘されており、その背景としては、わが国の場合職業にたいする期待が大きい分だけ、満足度は抑制されるのではないかという見解がある。

たしかに基本的にはその通りかもしれない。職業を選択して就業することは、欧米では文字どおりの就職である。たとえば米国労働省は『職業ハンドブック』を刊行し、2年ごとにデータを書きかえながら、300もの具体的職業について現況と将来展望に関して情報を提供している。人びとはこれらによって十分な検討をすませて職業に就くことになる。わが国の場合は、勤務先の選定が優先されるかわりに、他の諸条件については、曖味情報で済ませ、結果として、未充足感を深く味わうということになるかもしれない。

職業満足の度合は、職業によってどう違うのであろうか。経営者・管理者の場合に最高であり、満足している人は九割に達しようとしている。満足度が一番低い農林漁業者では7割強である。両者に3割の開きがある。ここにもまた、職業的地位がもたらす格差現象がみられる。