組織のもう一つの要素「階層」
組織のもう一つの要素「階層」

ある若手社員が嘆いた。「上司の言うことに従うだけでは評価されない。けれど、意見を言えば煙たがられる」。
この言葉は、現代の組織に働く人々の心の奥に共通する葛藤を象徴している。私たちは組織の中で働くとき、常に「協働」と「階層」という、相反する二つの構造の中を生きている。


1.組織の二重構造――協働と階層

組織とは、本来「共に働く」ことを目的とした集団である。しかし同時に、そこには必ず上下関係(ヒエラルキー:hierarchy)が存在する。


上司が部下に指示を与え、部下がそれを遂行し、最終的に上司が「決裁(approval)」を下す。これが、あらゆる企業・官庁・学校に共通する基本の仕組みだ。

人間はこの仕組みの中で、自分の役割を理解し、判断を仰ぎ、責任を分担しながら働く。つまり、組織の中の人間関係とは、「自由」と「服従」の間に生まれる緊張の構造なのだ。


2.意見具申の勇気――「上司を動かす」仕事の喜び

組織における理想的な部下とは、ただ命令をこなす人ではない。
必要なときには、上司に対して意見具申(いけんぐしん)――自分の考えや現場の声を伝え、改善を促す提案を行う。
ときにそれは、上司の方針と異なる意見であるかもしれない。
しかし、組織が健全であるためには、この「異なる声」が欠かせない。

ある企業の中堅社員はこう語る。「上司を動かせたときが一番うれしい」。
それは、自分の知識と情熱が組織の方向性に反映された瞬間であり、
単なる労働者から「意思を持つ協働者」へと変わった実感の時である。


3.評価と出世――人はなぜ上を目指すのか

組織には「上」と「下」がある。
地位が上がれば、権限が増し、決定できる範囲が広がる。
だからこそ、昇進や昇格は単なる金銭的報酬以上の意味を持つ。

心理学者アブラハム・マズローの欲求階層説(hierarchy of needs)によれば、
人間は「承認されたい」「より良くなりたい」という段階的な欲求をもつ。
出世とは、この「承認欲求」や「自己実現欲求」を満たす手段でもある。

ただし、昇進には二つの動機がある。
ひとつは「より大きな責任を担いたい」「よりよい仕事をしたい」という前向きなもの。
もうひとつは「他人より上に立ちたい」「支配したい」という自己中心的なものだ。
前者は組織を成長させ、後者は組織を蝕む。
出世という制度は、人間の成熟度を問う鏡でもある。


4.評価制度の裏側――人事考課とは何を見ているのか

企業は公平な評価を目指して人事考課(performance appraisal)という制度を導入している。
人事考課は単なる点数づけではなく、次の三要素から成り立っている。

  1. 業績評価:どれだけ成果を上げたか。数値や目標達成度をもとに判断する。
  2. 能力評価:問題解決力や判断力、専門知識、創造性などのスキルを測る。
  3. 態度・人物評価:チームワーク、責任感、協調性、リーダーシップなど、人格的要素をみる。

この三つの軸をどうバランスさせるかは企業文化によって異なる。
「成果主義」を重視する会社では、数字が中心になるが、
「協調と持続性」を重視する組織では、人格やチーム貢献が高く評価される。

評価の基準は「その会社が何を大切にしているか」の鏡でもある。


5.職階の迷路――「課長」も一人ではない

かつての組織は、明快だった。
「平社員 → 係長 → 課長 → 部長 → 役員」と、一列の階段を上がるだけだった。
しかし現代では、この構造が極めて複雑になっている。

同じ「課長」でも、部下を持つライン課長と、企画や分析を担当するスタッフ課長がいる。
管理職とは別に、専門知識をもつ専門職(specialist)のキャリアパスが設けられる企業も増えた。
これは、「出世=管理職」という単一の価値観から脱却する試みである。

だが、その一方で「役職インフレ」が進み、
「副課長」「次長」「主任」「リーダー」など、細分化された肩書きが乱立している。
この曖昧さが、かえってキャリアの見通しを不透明にしているのも事実だ。


6.有限資源としての「地位」――なぜ出世競争がなくならないのか

組織の地位は有限だ。
部長ポストが10個しかないなら、どんなに優秀な人がいても11人目は部長になれない。
この単純な事実が、社内の競争を生む。

特に経済が停滞し、組織が縮小傾向にある現代では、
「上が詰まって下が上がれない」という昇進の停滞現象(promotion bottleneck)が起きている。
この構造的問題は、世代間の不満や社内政治の温床にもなっている。


7.二つの出世観――藤吉郎と金次郎

日本人の出世観を象徴する二人の人物がいる。一人は豊臣秀吉(木下藤吉郎)、もう一人は二宮金次郎である。

藤吉郎主義は、組織の中で忠誠と努力を重ね、上位の地位へと上がっていくタイプ。
「努力すれば報われる」という典型的な階層上昇モデルである。

一方、金次郎主義は、出世よりも「仕事そのものの完成」を目指すタイプ。
農民でありながら、学び、工夫し、地域に貢献した金次郎の姿は、
「現場の達人」「名人」としての理想像を示している。

現代の日本企業では、この二つの出世観が併存している。
藤吉郎的な昇進は依然として主流だが、
AI時代においては「技術・知識の深化」を尊ぶ金次郎型の価値観が再び注目されている。


8.専門職制度の可能性と限界

1980年代以降、多くの企業が「専門職制度」を導入した。それは、管理職以外にもキャリアの道を開こうという試みだった。

しかし現実には、「専門職=昇進の代替」になってしまった例が多い。
関西生産性本部の調査によると、専門職に任命された人の約3割が
「本当は管理職になりたい」と答えている。

つまり、制度の理念と現実のギャップが依然として存在するのだ。
専門職を真に活かすには、専門家が意思決定に関与できる環境――
すなわち「知が組織の中で尊重される文化」が不可欠である。


9.階層と協働の再定義――AI時代の組織人へ

AIが仕事を奪うと言われる時代、
しかしAIには決してできないものがある。
それは、「人の心を感じ取り、関係を築く」ことだ。

現代の組織人に求められるのは、
上司の意図を理解しつつ、自分の考えを発信できる「両義的な能力」である。
つまり、フォロワーシップ(follower-ship)とリーダーシップ(leader-ship)を両立させる力だ。

指示を受けるだけでもなく、独断専行するわけでもない。
相手の立場を尊重しながら、正しい提言をする勇気。
その積み重ねが、組織の信頼を強くし、個人を成熟させていく。


組織に生きる知恵としての「バランス感覚」

組織で生きるということは、単に生計を立てることではない。
それは、人と人との関係の中で、自らを磨く過程でもある。

上司に従う力と、上司を動かす力。
協働する力と、個を貫く力。
専門を究める力と、全体を支える力。

この相反する要素をどうバランスさせるかが、組織人の成熟度を決める。

出世とは目的ではなく、成長の副産物である。
そして組織とは、人が自らを知り、他者を理解し、社会とつながるための「学びの場」でもある。
そのことを忘れない限り、階層も評価も、出世もまた――人を活かす仕組みとなるのだ。