自営業・自由業へのあこがれ
自営業・自由業へのあこがれ

日本の場合、適性にかない、能力が十分に発揮できるという要件は、職業選択にあたって殊のほか重視される。このことは各種の調査結果に示されているが、最近、日・米・仏女子大生の就職観に関する調査結果なるものを眼にしたときには、さすがに驚かされた。それによると、アメリカの女子大生が第一位に重視したのは「収入の多い職業」であり、58.1%が選んでいる。フランスの女子大生が第一位に重視したのは「社会に役立つ職業」であって、42.2%が選んでいる。そして日本の女子大生が第一に選んだものが「自分の能力や個性が発揮できる職業」であり、なんと81.1%もの学生が選び、第二位を大きく引き離している。

さすがにこの数値は大きすぎるが、成人男子を中心にした調査では、職業の安定性をより重視する傾向が一般である。特に一次と二次にわたる石油ショックのあとにおいて、それは顕著である。公務員や教員を志望する大学生がふえたのはその表われである。また職業上の資格取得をめざす人が増加し、各種専修学校への進学率が高まっていることにも、その傾向を読みとることができる。特定職業に関する知識と技術を身につけることは、就業にあたって有利であることは間違いないからである。

職業選択に当たって適性や能力発揮を重視するのは事実であり、相変わらず自営業や自由業を求める人々が沢山いることのなかに、それはよく表われているように思う。

自営業や自由業というのは、雇用されることよりくる拘束から解放されるということと同時に、自分の好み、適性、能力を生かすことができるという長所がある。要するに好きな仕事をしたいという願望が、自営業や自由業を希望させるのではないかと思うのである。事実、職業統計をみても、この種の職業は近年増えている。たとえば昭和55年の国勢調査によると、小売業主は5年前の昭和50年に比べて25万人近く増え、21%強の増加率になっている。同じく卸売店主については15%弱、飲食店主については25%弱の増加をみせているのである。ちなみに、多くのものが将来の独立を夢みるだろう調理人や美容師なども、この間に、前者で22%強、後者で30%強の増加を示している。

自由業について一瞥すれば、同じく昭和50年から55年の5年間において、文芸家・著述家は36.5%、音楽家は40.7%も増えている。ついでながら職業スポーツ選手は77%の大幅増となっている。

就業者に占める自営業主の比率をみても、農林漁業従事者をのぞいたいわゆる非農就業者については、減少していない。国勢調査によると、昭和50年では「雇人のある業主」は全就業者の3.5%であるが、昭和55年には3.8%へと、わずかに増加している。

従業員社会の到来

そうは言っても、現代産業社会における職業の中心が雇用者である点には変りない。こんにち多くの職業は、なんらかの組織に所属することを通じてなされる。そのさい、自ら組織を主宰し、組織のリーダーとして事業経営を展開するのは自営業主であり、経営者である。組織に成員として雇用される型で職業を遂行するのは、従業員であり、雇用者である。いまみたように自営業指向は少なくないが、産業社会の進展とともに、組織成員として職業に従事する雇用者は、数のうえでどんどん増えてきた。こうしてドラッカーは現代産業社会を称して、従業員社会であると言明したのである。

ドラッカーが言うには、先進国においては、経済的生産の85%から90%が給料や賃金という形で従業員に対して支払われている。先進国経済やその中での企業活動は、従業員の利益のために稼動しているとも言えるのであり、「従業員こそが唯一の資本家」であると言うのであるから、まさに従業員社会である。

どの職業についても、あらゆる面で満足という人は、そう多くはない。事業を経営している人(自営業主)は、景気動向が常に気になり、資金繰りに頭を悩ますことになる。商店主、工場主、そして、中小企業の経営者のいずれについても、それは同じことである。ある調査によると、商・工・サービス業主の4分の1は、職業生活上の障害として「必要な資金が足りないこと」をあげている、。そのうえ一定の投資をし、それなりの収益をあげていくことは、経済や社会が変動するだけに、またマネジメントのむずかしさが増加しているだけに、容易ではない。

そのぶん従業員は、つまりは「寄らば大樹」であり、経営環境に一喜一憂するほどの気のつかいようは不要である。従来から、サラリーマンは収入が安定している点のメリットが指摘され、娘のムコはサラリーマンに限るなどと言われたりもした。反面、とにかく辛抱が必要だということが指摘されてきた。我を張って上役とケンカをしてはいけないぞ、もし首になったり、冷遇されたりしたら、腕(技能)がないだけに路頭に迷うと言われたわけである。

企業間格差

以上のことは、サラリーマンの本質をよく衝いている。従来からサラリーマン(会社員)については、高額というわけではないけれども、とにかく辛抱して勤めていれば安定した収入が得られるというのが定評になっていたわけである。それに現代の高度産業社会においては、一般的趨勢として、賃金の「高水準」での安定という条件が付加された。戦後の日本においては、昭和20年代からはベースアップが定常化し、賃金の下方硬直性はいつの間にか制度化された。むろん産業構造の変動や世界経済の変調などによって企業倒産や経営規模の削減が発生し、雇用不安にさらされる破目に遭遇した従業員も多かった。

しかし、全体としては、従業員としての身分的基盤は整備されつつある。給料や賞与、労働時間や休日・休暇、定年や年金など、労働条件にかかわる諸制度は充実の一途をたどっている。いうなれば雇用されている限りにおいては、会社員としての職業生活はまず安泰ということである。

問題は二つある。一つは企業間格差であり、二つは組織内競争である。後者も、前者同様に格差現象として抽象することができるかもしれない。

労働条件が全体としては改善されつつある中で、趨勢的にみて企業間格差は進行しているようである。企業間格差は同一産業や同一規模の間にも顕著に存在する。しかしこの問題は、従来からも特に規模間格差の問題として理解され、経済の二重構造に還元されて論じられてきた。そして依然として、大企業と中小企業の間には、大きな格差が存在する。

ある民間機関でなされた昭和55年度のモデル賃金調査を例にとれば、大卒男子の場合、3000人以上規模の賃金を100としてみると、1000人未満では、30歳で約86%、40歳では82%であり、高年齢になるほど格差は広がっている。毎月勤労統計調査によれば、昭和五十五年七月分の定期給与のばあい、500人以上規模を100としたばあいに9~30人規模で80.7、1~4人の小規模では57.5という低数値である。ついでながら特別給与となると、小企業では年間で大企業の4分の1にすぎない。出勤日数や実労働時間についても規模間格差は著しい。

このような実態からすると、会社員の職業的現実を論ずるうえからは、これを一つのカテゴリーとして扱うことはできない。従来からもブルーカラー(労務・作業職)とホワイトカラー(事務。技術職)というように職種による分類はあるのであるが、SSM調査にならって、それぞれを規模によって二分する類型化が現実的かと思われる。大企業ホヮイトカラーと中小企業ホワイトカラー、ならびに大企業ブルーカラーと中小企業ブルーカラーというのがそれである。労働条件のみならず、職業的諸側面や広く行動様式の一般は、それぞれに違いを示しているはずである。

このように勤務先の規模によって職業分類をすることは、欧米ではあまりない。もっばら保有する技術・技能のレベルによって、たとえば熟練と非熟練といったように区分するのが多い。しかし、ゴールドソープらによる英国の職業分類には、ホワイトカラーだけについてであるが、大企業、中企業、小企業という基準を導入している例もある。