戦後日本社会の特徴として、「中産階級化」と呼ばれる現象がある。特に高度経済成長期以降、日本の人々は自身を「中流」と認識する傾向が強まり、1980年代には「一億総中流社会」という言葉が流行するに至った。このような社会意識は、単なる経済的な指標(所得や資産の水準)を超えて、生活様式・価値観・文化的実践にまで及ぶ現象としてとらえる必要がある。ここでは、この「中産階級的平等主義(middle-class egalitarianism)」が日本社会にもたらした文化的、社会的、政治的含意を、イギリスの社会構造との比較を通して検討する。
イギリス社会は、伝統的に階級意識の強い国として知られており、特に労働者階級文化(working-class culture)と中産階級文化(middle-class culture)の間には、生活様式、言語、教育への態度、政治意識において顕著な差異が見られる。たとえば、労働者階級の人々は「自分たちらしさ」を表現する方法として日常的言語や大衆文化を重視し、中産階級は「洗練」や「教養」を志向する傾向がある。ピエール・ブルデューの言うところの「文化資本」に基づく階級再生産のメカニズムは、イギリス社会において顕著であり、子どもの教育選択や進路希望においても階級差が明確にあらわれる。
これに対して、日本の戦後社会は、表向きにはそうした文化的階層の差異を曖昧にし、むしろ同質性と平等を強調する方向に向かった。1950年代以降の教育政策は、義務教育の普及と高等教育の機会拡大を通じて、「誰もが中流を目指す」社会的風土を形成し、個々人の生活スタイルもまた、テレビや自家用車、持ち家といった「中産化」の象徴的消費財の普及によって標準化された。学校教育や企業文化を通じて浸透した「がんばれば報われる」という価値観は、競争を制度的に組み込みつつも、それを個人努力の範疇にとどめ、社会的対立の顕在化を抑制する装置として機能した。
しかし、このような「中産階級的平等主義」は、必ずしも実質的な平等を意味するものではなかった。むしろそれは、階級差を意識させない言説空間を作り出すことによって、階級間の摩擦や分断を「見えにくくする」働きを担っていた。たとえば、教育機会の平等が表向きには保障されていても、実際には家庭の経済力や教育熱心さによって進学率や進路の選択肢に格差が生まれており、それが新たな階層分化の源泉となっていた。
また、日本の「中産階級的価値観」は、ジェンダー秩序との結びつきにおいても顕著である。高度経済成長期における「企業戦士」モデルと、それを支える専業主婦モデルは、いずれも中流家庭の規範とされた。これは、性別役割分業を自然なものと見なし、女性の社会進出や多様なライフスタイルの承認を抑制する文化的圧力として働いた。この点においても、日本の「中流化」言説は、実質的な平等を達成するというよりは、ある特定の生き方を「普通」として強調することにより、他のあり方を周縁化する作用を持っていたと言える。
このような中産階級的平等主義のイデオロギーは、政治的にも特異な効果をもたらした。すなわち、労働者階級の文化的自己意識を弱体化させ、労働運動や左派政党への支持を構造的に抑制する要因となったのである。イギリスにおいては、労働者階級が階級的利害に基づいて政治的選択を行う傾向が強く、労働党がそうした意識の受け皿となってきた。これに対し、日本では、自らを「中流」とみなす有権者が多数を占めることによって、階級対立を前提とする政治運動は支持を得にくくなり、自民党の長期政権維持を支える一因ともなった。
さらに、日本型の平等主義は、「努力すれば報われる」というメリトクラシー的信念と結びつきやすく、それが社会的格差の再生産を見えにくくする。実際には、家庭背景や出身地、性別といった構造的要因が個人の進路や生活水準を大きく左右しているにもかかわらず、「格差は自己責任」とする言説が広まりやすく、社会政策への支持や再分配要求を抑える効果を持つ。このようにして、日本社会における「中産階級的平等主義」は、ある種の保守的安定をもたらすと同時に、社会的流動性の停滞や抑圧的同調圧力の温床ともなっている。
以上をふまえると、日本社会における「中流化」現象は、単なる経済構造の反映にとどまらず、文化的、政治的な構造と深く結びついた総合的な社会形成のプロセスであることがわかる。そしてそれは、イギリスのような階級意識の強い社会との比較を通じて、逆説的に浮かび上がる日本独自の社会構造のあり方でもある。「平等」や「普通」の名のもとに包摂されていく社会のあり方に対して、批判的な視座を持つことが、現代日本社会を理解する上でますます重要となっている。
