マルクス主義の視点からみた戦後日本の中流階級の成立過程
マルクス主義の視点からみた戦後日本の中流階級の成立過程

日本の戦後の中流階級の成立過程をマルクス主義的観点からみるとどうか。ここでは大橋隆憲が開発した方法に依拠して観察しよう。

大橋は日本社会の階級構成表を作成する際に、A=資本家階級、B=旧中間層、C=新中間層、D=労働者階級、という4つの部分を区別し、このうち旧中間層を構成するものとして独立自営業者(農林漁業従事者、鉱工建設運輸従事者、販売従事者、サービス職業従事者)、独立専門技術職業者、旧中間層内の家族従業者をあげ、新中間層としては被雇用者の専門技術者、被雇用者の一般事務員、警官・軍人・保安サービス員をあげている(ちなみに資本家階級は個人企業主、個人および法人企業役員、管理的公務員からなり、労働者階級は農林漁業労働者、鉱工建設運輸労働者、交通通信事務労働者、サービス労働者、完全失業者からなっている)。

減少したのは「旧中間層」

このような分類にしたがって昭和35年と50年の国勢調査の数字をあてはめ、この両時点における従業人口比率を算出してみる。この図からまずいえることは、①資本家階級が2.3%から4.9% へと比率の上で倍増したこと、②労働者階級の比率も37.6%から44.5% に増大したこと、③これにたいして中間層は新旧あわせて60.1%から50.6%に低下したこと、である。

この推移をみるかぎり、中間層は分解し、その一部は資本家階級に成長していくが、他の多くは没落して労働者階級になるという、 マルクス主義のあの伝統的な見解がみごとにあらわれているかにみえる。だがここで中間層の減少の中身を吟味してみよう。そこでまずいえることは、減少しているのは旧中間層であって(45.1%から29.1%へ)、新中間層はむしろかなり増大している(15.0%から21.5%へ)ということである。次にいえることは、旧中間層のなかで減ったのは農林漁業従事者であって、その他の独立自営業者とその家族従業者はこの間に678万人から727万人にふえているということである。要するに、ここでみられた中間層の減少とは、換言すれば農林漁業従事者が減ったということなのである。

職業威信の構造からみるとつぎに、職業威信の構造からみて中間層が増えたかどうかを検討してみよう。職業威信の階層構造にかんしては富永健一のグループが行なった詳細な調査がある。そこでは個々の職業について、威信がどのくらい高いかを100点尺度で測った結果が示されており、そこから、それぞれの職業の威信スコアがわかる。これを利用して、中位の威信の職業に従事する人口がはたしてどれだけ増えたか減ったかをみてみよう。そのためにここでも昭和35年と50年の国勢調査にあらわれた職業小分類別就業者数を調べ、それを富永らが出した各職業の威信スコアに照らしあわせ、威信スコア80点以上の職業群、60点から80点未満までの職業群、40点から60点未満までの職業群、20点から40点未満までの職業群、20点未満の職業群のそれぞれについて、右の2時点における従業人口比を算出してみた。

「中間」の層が増大した

これによれば、① 「上」にあたる80点以上の層はきわめて僅かだが増加している、② 「中の上」にあたる60点~80点未満の層も少し増加している、③ 「中の中」にあたる40点~60点未満の層はいちじるしく増加している、④その反面「中の下」以下の層はかなり減少している、ということがわかる。昭和35年当時には、威信からみて「中の下」の職業に従事していた人口が65%、つまり約3分の2を占めていた。だが、昭和50年になるとそれは半分以下となり、それにかわって「中の中」の職業従事者が大幅にふえ、これと「中の上」をあわせると52%、つまり過半数を占めるようになった。

このようにみてくると、威信の点で中位にランクされる職業群、あるいはそれ以上のランクの職業群に従事している人口が、すでに日本社会の中で多数をなしてきているといえるだろう。

この間、日本人の就業構造をみると農林漁業や鉱工業の旧型の肉体労働従事者がしだいに減少し、それにかわってホワイトカラー層や技能労働者が増加してきた。こうした職業構造の変化は、別な見方からすれば、威信が高い職業に従事する人口が相対的にふえた、ということであった。その結果、日本社会の相対的「高威信化」が進み、職業威信のヒエラルヒーのなかで「中間」の層が増大した、とみることができる。

収入高からみると

では収入からみるとどうか。ここでは総理府「家計調査」を時系列的にみてみよう。まず昭和32年、35年、40年、45年、50年、54年の6時点をとりあげ、勤労者世帯にかんして「年間収入五分位階級」別(収入の高さから調査対象世帯をそれぞれ20%ずつに五等分したもの)に一世帯あたりの平均実収入を調べる。そしてこんどは「中の中」の平均実収入を1.00として他の階級の実収入を指数化する。このようにすると、中間の20%の世帯を中心にして高収入グループと低収入グループとの差の動向がわかる。

収入格差が縮まり「中間」の層がふえた

この図をみて気づく点をあげてみよう。

1)昭和32年と25年の調査では、「下」層の世帯実収入は「中の中」層の半分もなかったが、40年調査ではその6割ぐらいの収入となり、その後の調査では6割台を示している。
2)昭和32年と25年の調査では、「中の下」層の世帯実収入は「中の中」層の七割台であったが、40年およびそれ以降の調査ではそれが人割台となり、「中の中」層に接近してきた。

以上の二点から、昭和30年代後半から40年代にかけて、「下」層および「中の下」層の世帯実収入は、「中の中」層のそれに近づいたとみることができる。では「中の上」「上」の層と「中の中」層との関係はどうか。

3)「中の中」層の世帯実収入を1とすると、「中の上」層のそれは昭和32年と25年には1.31であったが、40年には1.25となり、その後の調査時点では1.19~1.21となっている。ここから、「中の上」層と「中の中」層も接近してきたとみられる。
4)「上」層の世帯実収入は、昭和32年と25年には「中の中」層の2倍以上もあった。ところが40年になると1.75倍のひらきしかみられなくなり、45年、50年、54年の調査ではそのひらきは1.6倍台になっている。「上」層と「中の中」層の格差がそれだけ縮小したわけである。

要するに、昭和30年代にくらべて40年代にはすでに収入格差が全体としてかなり縮まっており、50年代においてもその傾向が続いているとみられるのである。ちなみに「下」層と「上」層との世帯実収入の差をみると、昭和32年と25年には5倍強のひらきがみとめられたが、40年およびそれ以降ではその差は三倍足らずになり、54年にはそれが2.6倍となっている。こうして、勤労者世帯における実収入の上下差が縮まり全体として平準化がすすむなかで、収入における「中間」の階層が肥大化したとみることができよう。