昭和日本は中産階級・中流階級社会になったのか
昭和日本は中産階級・中流階級社会になったのか

マルクス主義の伝統的な階級規定からすれば、資本家階級やとりわけ労働者階級の増大に比して「中間階級」ないし「中間層」は相対的に減少したといえるが、それは農林漁業の自営業者層の絶対的な減少に負うものであって、商・工・サービス業の自営業者・零細資本家層はむしろ増えているのであり、またホワイトカラー層からなる新中間層は著しい増加を示してきた。

他方、職業威信のヒエラルキーや世帯収入の高低からみると、「中間」の階層は肥大化している。このかぎりでは、昭和30年代中頃の論者たちの予測に反して、その後約20年を経るなかで日本社会の内部に中間的な階級が育ち定着してきたかにみえる。

そもそも「職業威信」とは、特定の職業が社会的にどの程度高く評価されているかを示すものである。これは、多くの人に職業の「望ましさ」や「社会的地位」について尋ね、その平均値をとることでスコア化されたものである。

さて、令和日本において「昭和は良かった」といわれる理想の日本、国民が総中流であった日本という概念は、本当だったのだろうか。昭和の日本が「中産階級」ないし「中流階級」の社会になっていたと結論していいのだろうか。

職業構造の「高威信化」

職業威信に関していえば、たしかに、低い威信しか与えられていない職業に従事する人々がかなり減り、中位の威信をもつ職業の従事者が顕著に増大してきた。威信の低い職業群をみてみると、単純肉体労働や単純販売サービス労働、 一部の生産労働がこれに含まれる。これまではこれらの従事者が減少してきたが、今後は中位の威信の職業に従事する者も減っていくと思われる。中位の威信の職業群を代表するものは一般事務労働と製造業の生産労働である。すでに製造業における生産労働は、ロボットやNC旋盤などのニュー・テクノロジーの導入と徹底した省力化によって、最近いちじるしい減少傾向をみせている。また事務部門ではオフィス・オートメーション(OA)化が進むことによって、大幅に人員減がなされていくであろう。そして、従来の生産労働者や事務従事者にかわって、新しい技師・技術者、専門的職業従事者が産業の各方面にわたって増大していくだろう。そうだとすれば、威信のヒエラルヒーからみて「中の上」の職業群の人口がいっそう増大していくと思われる。こうして、日本社会の職業構造において「高威信」化が進んでいくとみられる。

威信の低い職業群の人たち

だがこのバラ色の傾向の反面に随伴するカゲの部分もみなければならない。少なくとも次の二つの点は考慮に入れる必要があろう。

その第一は、たしかに一般的趨勢として「中」ないし「中の上」の威信の職業従事者が増大するとしても、「中の下」の職業群はなくなるわけではなく、減少するとはいえ一定の割合をもって残存する、ということである。また、産業構造が高度化し新しいテクノロジーが導入されると、それに付帯して、低い威信しか与えられない新しい単純労働の職種も要求されてくる。そして、社会のなかの多数の人たちが相対的に威信の高い職業群に従事するようになれば、その反面で、威信の低い職業群で働く人たちは少数化しながら残存し、そして社会的に孤立化してしまうかもしれない、という問題が出てくる。この層が社会のなかでまだかなりの厚みをもっていたころには、この層の人たちにとって職場や地域で同じ仲間を容易にみつけだすことが可能だった。そこには職縁や地縁による相互扶助や共感の世界もあったろう。だが「高威信化」社会のもとでは、この世界が解体を余儀なくされ、この層に属するひとりひとりがそれぞれ孤独な状況に追いこまれることになりかねない。

第二は、日本社会において職業構造の「高威信化」がすすむのと並行して、発展途上国に威信の低い職業が「輸出」されるという傾向である。今日の先進諸国で増大している労働は多かれ少なかれ知識集約的ないし技術集約的である。それらは概して威信が「中」ないし「中の上」である。これにたいして途上国の労働力人口の多くは、いわゆるインフォーマル・セクターでその日その日の生計のために半端仕事を探している半失業者であり、かれらがみつける職業の威信は、先進国の人びとの眼からみれば「中の下」や「下」である。このように、職業威信のヒエラルヒーが、今日、先進国と途上国の関係のなかになりたっている。このことはとくに日本のばあいに顕著である。欧米の先進国ではそれぞれの国内で「中の下」や「下」の職業群に従事する移民労働者や黒人などを擁しているが、日本ではそのような職業群の従事者を自動化や機械化で減少させる一方、資本を国外に投資してそこに「中の下」や「下」の職業従事者を求めているからである。

収入の平準化がすすむ

つぎに、収入の高低からみるならば、少なくとも勤労者世帯の実収入にかんしては平準化がすすみ、上も下も「中の中」のグループに近づいたといえるだろう。この限りでは「富裕階級」と「貧困階級」への両極分化はみとめられない。しかもこの平準化は、上と下が中に収飲したというよりもむしろ、下も中も上に接近した、というかたちでおこなわれた。ちなみに総理府「家計調査」から勤労者世帯各層の実収入の伸びを昭和32年と54年との比較でみると、「上」層は8.0倍の伸びだったのにたいして、「中の中」層は10.8倍の伸び、「下」層にいたっては15.4倍の伸びで、下の方ほど収入の増大がいちじるしかったのである。その結果、さきにふれたように、「下」層と「上」層との収入の差は、昭和30年代には5倍強のひらきがあったのに、54年の調査ではその半分の2.6倍のひらきになっている。そしてこのような上方にむけての収入差の平準化は、各層の購買力を高めて国内市場を刺激し、日本経済の成長を支える大きな一因をなしてきた。

収入以外の経済的格差はある

だがこうした平準化は、収入といったフローにかんしていえても、ストックについてはかならずしもあてはまらない。たしかに乗用車や家庭電化製品をはじめ、さまざまな耐久消費財が一般の家庭に広く普及し、この点での階層差は見いだしにくくなっているが、こと土地。住宅の所有状況となると、ストックの格差は大きくあらわれてくる。昭和30年代後半から40年代前半にかけてはさきにみたようにフローの面での格差が縮まったため、 一般に経済的地位の差は小さくなったが、40年代後半からは地価の急騰を反映してストックの面での格差が顕著にひらいてしまい、経済的地位の平準化傾向は攪乱された。

そのほかにも収入の高さだけではとらえられないさまざまな経済的格差がある。その一例が、大企業や官公庁と、中小企業や自営業との間にある福利厚生面での格差である。社宅や官舎、保養・レクリエーション施設の利用のチャンス、付属医療保健施設の有無などは、世帯支出の大きさに影響し、経済生活のうえで一定の差を生みだす性格のものである。昭和五十三年労働省「労働者福利施設制度等調査」から企業規模別に法定外福利費をみてみると、従業員5000人以上の企業のそれを100とすれば、100人未満の企業のそれは30をやや上まわる程度である。ざっとみて3分の1にすぎないのである。

平準化が進み「中間」の階層は肥大化した

こうした一連の問題を残しながらも、経済生活における平準化は今後も存続していくであろう。それを根拠づける一つの有力な要因は累進課税の作用である。物価上昇とともに名目的な収入も増大していくであろうが、累進課税によって収入の高い層ほど手取りの額はおさえられてくる。さらに所得税のほかに社会保険料などもふえる。こうした非消費支出が、「上」層(第V階級)のばあい、昭和50年から55年にかけて平均17.4%ふえている。この層の場合、55年のデータによれば実収入の15.8%をこうした非消費支出にとられている。こうして高所得層ほど非消費支出にとられる分がふえてくるから、その結果として「上」層の手取り額の伸びがにぶり、そのことが経済生活格差の平準化につながっていくことになるだろう。ただしこのような平準化は、これまでのように底を上げるかたちでおこなわれるのではなく、むしろ上をおさえるかたちで進められる。このことが、はたして底上げ的平準化と同じように社会の活力を喚起するような働きをするかどうかは、「成長」と「平等」の関係にかかわる興味深いテーマである。

ともあれ、これまでの観察と分析から、日本社会において平準化が進み、「中間」の階層が増大し社会構造のなかに定着したといっていいだろう。たしかにその時どきの経済状況によって階層帰属意識の分布は波動することがありえても、大きな厚みをもった「中間」の階層が、威信の点でも収入の点でも、構造的に定着しているとみていいだろう。

だがわが国のこの「中間」的な階層は、西欧社会に根づいているような、上の「上流階級」や下の「労働者階級」から、意識の点でも生活様式や文化の点でも政治行動の点でも、はっきりと区別できるような、独立した「中産階級」ないし「中流階級」として形成されてきたものなのだろうか。それとも、上にも下にもはっきりした境界をもたない、なにか茫漠とした集まりなのだろうか。国民の大多数が「中流」意識をもっているといわれるが、その意識にはどんな特徴があるのか。この点を次章で検討しよう。