「中間層」肥大の社会的背景
「中間層」肥大の社会的背景

「中」意識の増大という現象の底をさぐっていくと、そこには単に「自家風呂や電話のある生活」とか「電気冷蔵庫のある生活」が普及したということにとどまらない、日本社会の深い構造的変化がみえてくるように思われる。

かつての労働者の生活世界

ここでかつての労働者の世界をふりかえってみよう。戦前の小企業男子労働者の生活は、義務教育を終えてすぐ、あるいはしばらく農業などの家業手伝いをしたあとで、徒弟奉公にはいることからはじまる。昭和初期の埼玉県川口市の鋳物業を例にとると、徒弟は工場付属の寄宿舎に起臥し、4年から5年の年期契約で拘束されていた。ある年配の事業主は戦前の徒弟時代を回想してこう述べている。

「親方が仕事のうえで絶対的な権力をもっていて、へまをするとひどくしかられた。あるときなどはそばにあった鉄で親方からさんざんなぐられたので、巡査のところにいって訴えたら、逆に『お前がちゃんとやらないからおこられるのだ』といってしかられた。……世間のことといえば工場の中のことだけしか知らなかった。市長がだれだか、総理大臣がだれだかも知らなかった」。

この徒弟にとっては、たしかに市長とか総理大臣は上の方のエライ人かもしれないが、このような階層の人たちはかれの生活世界には無関係な人たちであった。彼にとって絶対的にエライのは、「仕事の上で絶対的な権力」をもっている親方であり、つぎに偉いのは先輩の熟練職人たちであった。かれの生活世界は「世間といえば工場の中のこと」であり、かれにとって日常感覚のなかでとらえられる上・中・下の関係は、親方を頂点としたヒエラルキーにほかならなかった。彼が次第に「中」になり「上」にのぼるのは、この世界の中心原理をなす腕をあげることであった。

大企業の職場も同様だった

このような生活世界は徒弟制度が廃上になった戦後もしばらく続いていた。しかもそれは中小企業ばかりでなく、大企業の職場でも同様であった。昭和20年代の中ごろに京浜工業地帯の大工場の労働者を調査した氏原正治郎は、その状況をつぎのように描きだしている。

《労務者は、せいぜい義務教育をうけただけで、ずぶの素人として、その職業的生涯を始める。彼らが入る職場には、何段階かの階層をなした労務者の序列が存在する。先輩は、第一に技能者である。彼らは、その技能を秘伝としてなかなか後輩には教えない。あるいは教えようがない。
後輩は、先輩とともに仕事をし、年期を入れながら技能を伝授される。第二に先輩は、後輩の死活の権を握っている。雇傭解雇、昇給減給、割増その他の給与など、人事待遇の実権はここにあるからである。彼らは、この技能、人事待遇の実権の上に、部下に対して支配者として臨んでいる。第二に、しかし、親方は部下の保護者でもある。困ったときには金も貸してくれる、残業もつけてくれる、割のよい仕事もくれる、 一身上のことで相談にゆけば親身になって世話もしてくれる。結婚の仲介もしてくれるのである。》

戦前から戦後の一時期にかけて、日本社会にはこうした狭い小社会が残っていて、それが労働者にとっての生活世界を構成していた。その内部には強力な拘束力と権威的かつ温情的なヒエラルキーがあったが、その世界はそれ自身の一定の自律性をもっていた。その構成員の価値序列はこの世界の内部のどこに位置するかによって判断され、市長とか大臣とかは、かれにとってどうでもいい、ただのエライ人にすぎなかったのである。

分節された小社会の集まり

このような生活世界は、農村にも、商業やサービス業の分野にもあった。かつての日本社会は、こうしたさまざまの分節的な小社会の集合体であり、そしてそのそれぞれの小社会が国民それぞれの生活世界をなしていた。人びとはそれぞれの小社会の価値と規範に準拠して、仕事に励みながらその小社会の中に制度化されている序列を一歩一歩あがっていけばよかった。したがってそのような世界の中で生活している人間にとっては、世間一般からみて自分のくらしむきが「上」か「中」か「下」かといったことは、たいして関心事にはなりえなかったにちがいない。

伝統的な小社会の解体

ところが高度経済成長の時代になると、このような小社会が日本社会のあちこちで解体し、そこにあった伝統的な生活世界は風化してきた。それによって人びとは閉鎖的な小社会の拘束から自由になり、小社会内部のヒエラルキーから解放されて広い世間一般の中で平等感を感受できるようになった。それは、旧い「共同体」からの解放が同時に「プロレタリア」への転落であるといった図式とは別の、生活向上への楽観的な気分をともなったものであった。昭和30年代中葉、政府が「所得倍増計画」をうちだしたときこれに半信半疑だった人たちもいたが、当時行なわれた世論調査によれば、すでに多くの人たちが「十年後の自分の生活」は「今よりもよくなっている」と思っていた。

めいめいが求めた「中流」的生活様式

その後高度成長のなかで合理化と量産体制の確立がすすめられ、その結果、かつては高級品と考えられていた消費財が大衆市場に出まわり、かつては上流階級のレジャーと考えられていたものが大衆的なレジャーとなって普及した。乗用車やゴルフなどはその最適例である。またさらに、伝統的に上流階級の所有物やレジャーと考えられていたものがこのように大衆化するだけでなく、新しい高級品が次々と生みだされてはただちに大衆化されてきた。カラーテレビやさまざまな家庭電化製品はその例である。そして、さきにみた直井の指摘のように、こうした消費財やレジャー活動を自分の生活の中にとりいれる過程で「中」意識が培養されてきた。かつての小社会の価値と規範に準拠できなくなった人びとが、新たな準拠枠として求めたのは、このようにして提供された「中流」的な生活様式なのであった。

この生活様式の獲得の過程は、かつてのように小社会が定めた伝統的なしきたりにそって、その小社会のメンバー総体の社会的承認をへながらおこなわれるのではなく、それぞれの個人や世帯がばらばらにめいめいの選択によっておこなわれる。かつて小社会の中で共有されていた生活世界にかわって、人びとは彼自身の生活世界を築かねばならなくなった。それは孤独な営みではあっても、一面では生活の個性化を促す契機を用意した。

価値序列の一元化

他面で見落としてはならないのは、同時に価値の一元化が進行して、それが没個性化をも随伴した、という点である。小社会がそれぞれの価値体系をもち、日本社会がそのような小社会の集合体であった時代には、日本社会は多元的な価値序列をもっているといえただろう。ところがそのような小社会が崩れて日本社会がひとつの統合された全体としてあらわれたとき、それは一元的な価値序列をもつようになった。

いまや労働者も市長も総理大臣も、一つの社会の中で、一本の序列の線上に並べられるようになったのである。労働者にとっての価値序列は、狭い仕事の世界の中での親方や先輩との関係だけではなくなった。そしてこの一本化された序列を上がるルートとして、学歴の重みが大きくなった。かつての上昇競争はそれぞれの小社会の中で、その小社会特有の価値原理にそって行なわれ、しかもそこではその競争がギスギスしたものとならないように小社会の温情的関係のもとで調整されていたが、いまや競争は全社会的規模でドライに展開されている。

「兵隊の位」から「会社内の地位」ヘ

かつて画家の山下清がある人物なり職業なりの社会的ランクを示すときに、「兵隊の位」でいうとそれがどこにあたるか、といういいかたをして有名になった。小社会が群立している時代に、社会全体に共通する価値序列として軍隊のヒエラルキーがあった。山下清はそれぞれの小社会のなかの地位をいったん軍隊のヒエラルキーの中の地位に翻訳して、その社会的ランクを知ろうとしたのだった。いまではこの軍隊のヒエラルキーにかわるものは、おそらく会社のヒエラルキーだろう。

たとえば「課長」という名称は、たんに会社組織の中の一機能を示すばかりでなく、いやそれよりもむしろ、ひとつの社会的地位を示すものとなっているといってもいい。「課長」に就任できたということは、会社の中で一定の権限を行使できるポストを獲得したというだけでなく、社会的に一定の威信を与えられた地位に到達したという意味をもっている。しかもそれは、いちいち「兵隊の位」でいいなおさなくてもいいのである。国民の大多数が会社員になっているからである。

みせかけの「中流階級」

「中間層」が肥大化し「中」意識が増加した背景には、右にみたような日本社会の構造的変化が関係していると思われる。そしてこの肥大化した「中間層」は、小社会の解体にともなってそこから出てきた人びとが、 一定の収入や職業威信の向上に支えられて社会のなかの中間部分に雑然と集まってできあがっているものとみられる。また、小社会特有の生活様式と価値が失われ、大衆消費社会のもとで「自家風呂や電話」「電気冷蔵庫のある生活」が広がるなかで、「中」意識が増大してきたとみられるのである。

だがこのことから、「中流階級」の増大をうんぬんするのは、さきに述べたように、無理であろう。その意味で、最近各方面でなされている現在の日本の「中流階級」にかんする議論は、多くの場合、「みせかけの中流階級」を対象にしているように思われるのである。